今日はタイを見ていこう。タイは最近観光で人気の場所の一つとなっている。それは観光目的なら30日以内という制限で査証が免除されている点もある。
東南アジアの一国。そして東南アジア諸国連合の一国。タイの歴史をみてみよう。
歴史をひも解く
タイ人の先祖はどこだったか。これは諸説があるが、民族国家成立以前は中国の華南地方であったという。それが、インドシナ半島に南下して定住。
最初の王国は、12世紀にの後半か13世紀に始めに起こったスコータイ王国である。現在のタイではこの時代を心のふるさとと位置付けているようだ。14世紀に上座部仏教を採用した。

その後、14世紀に入り、アユタヤ王朝が起こる。クメール王朝を三回侵略しながら、アンコールを襲撃している。また、スコータイ王朝はこのアユタヤ王朝の絶え間ない干渉により、属国となる。アユタヤは貿易港を中心として栄え、ヨーロッパとの接触が16世紀初頭に始まり、ポルトガル、オランダ、フランス、イギリスと続いた。さらに、興味深いのは、この時代から日本との交易もあり、アユタヤには日本人居住地があった。
タイと日本との関わり
主に、何人かの戦国武将は戦国の時代の終わりを迎えながら、仕事を求めこの地に渡ったという。いわゆる朱印船貿易による日本人タイ進出というわけである。当時は1500人ほどが居住していた。武士だけでなく、日本の禁教を逃れたキリシタンや商人たちもいた。
そんな中、ここで活躍したのが、武士であった。当時ビルマからの攻撃が数十回繰り返されている中、日本の武士力は傭兵としてそれに加担し活躍したたというのである。
そして、その活躍からタイの高官にまで出世した人物がいる。山田長政である。彼は駿河出身の武士であるが、朱印船を利用してタイの日本町へ入国。その後才能が認められ、日本町の首長となった。当時内外ともに戦争が絶えない中、彼は日本人の義勇軍(傭兵)を率いて活躍し、タイの王位継承の内戦に功をなすときおろから、国王ソンタムの信任を得るまでになったのである。けっこう島国の日本人が海外に目を向けていることに誇らしく思ったりする。海外では日本人の精神特に武士道に魅力を感じた人たちがいたのだろうか。

タイの近代化と緩衝地帯
アユタヤ王国はビルマの支配下となったが、ナレースワン大王が1584年に独立回復をなしえた。その後ラッタナコーシン王国となり、ラーマ1世の統治が始まる。ここからバンコクを首都に定めた。
19世紀に入り、西洋列強による植民地化の時代を迎える。それでもシャム(タイの以前の国名)は独立を守り、緩衝地帯として独立を維持させることができた。
タイは絶対王政体制であったが、20世紀に入り、王を象徴とする立憲君主制へと移行した。太平洋戦争は日本と同盟を結び、マレー作戦やビルマの戦いで日本に協力している。日本は東南アジア諸国と太平洋戦争を機に深いかかわりをもつことになる。タイとは同盟国とは知られていないのではないか。
戦後は周辺国が共産化する中で、タイの共産主義化が懸念された。それでも米国は反共の牙城(がじょう)として西側諸国との連携を保つこととなる。1970年以降、工業化が目覚ましく進み、経済成長を遂げる。現在は軍事政権と民間の政府が共に国政を運営している。さらにその二つを仲介するような役割として国家元首としての王が君臨している。


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